「麒麟がくる」ついに公開!光秀ゆかりの地に行ってみよう!【滋賀編】

1/19(日)から大河ドラマ「麒麟がくる」が遂にはじまりました!

あの織田信長を自刃に追い詰めた逆臣・明智光秀が主役となっております!
「本能寺の変」は日本歴史上最も有名な事変といわれていますね。

明智光秀は滋賀県ともとっても縁が深い人物なんです。
そして、逆臣であるが故に意図的に葬られたのではないか?と言われている謎深い生い立ちを紐解いていくと…

光秀は領民のために最善を尽くしそして領民からも慕われ、一夫多妻制が普通であった戦国時代において熙子(ひろこ)のみを正室とし、側室を娶らなかったという一途な一面も判明してきています。

逆臣と言われているので怖い人物なのかと思いきや、なんだか温かみが伝わってきますね…?
そんな謎多き光秀ゆかりの地をまとめてみましたので、ゆったりと歴史デートを楽しんでみてはいかがでしょうか?


かつては名城と称えられた光秀の居城
坂本城跡

〒520-0105 滋賀県大津市下阪本3-1

琵琶湖沿岸に位置する坂本城跡は、比叡山の焼き討ち後に築城された明智光秀の居城です。
かつては琵琶湖の水を引き入れ、大天守と小天守を有する豪華なお城で、名城と讃えられたほどの美しさを誇っていたそうです。

しかし山崎の合戦敗北後、光秀の義理の息子・明智秀満によって坂本城には火が放たれ、一部を残し焼失しました…。
現在ではその名残を残すだけとなり、琵琶湖の水位が下がった際には本丸石垣を見ることができます。

びわ湖周辺には「びわ湖テラス」があり、坂本城跡公園からは車で40分前後で行き来することができます♪
びわ湖テラスは絶景の空間に位置するカフェやお土産さんなので、こちらもオススメの観光スポットです!

こちらの記事で詳しくご紹介しておりますので、よろしければご参考くださいませ。
絶景山岳リゾート地・びわ湖テラス!



天台真盛宗の総本山
西教寺

〒520-0113 滋賀県大津市坂本5-13県道 47号線

西教寺とは、天台系仏教の一派である天台真盛宗の総本山となっている仏教寺院です。

戦国時代に織田信長による焼き討ちで消失してしまいましたが、明智光秀が寺の復興に尽力したそうです!
なので境内には光秀一族の墓が建立されています。

現在では国の重要文化財に指定されている西教寺です。
春は桜、夏は深緑、秋は紅葉に、冬は雪景色。
四季折々の眺めがとても美しいので、ぜひ足をお運びください♪


本能寺の変への出立地点
丹波亀山城

〒621-0851 京都府亀岡市荒塚町内丸1

光秀が信長の家臣だった頃、丹波攻略の拠点として光秀が築城したそうです。
本能寺の変の際、光秀はこの丹波亀山城から本能寺へと出立しました。

山陰道の入口にあたる要衝であるため、豊臣秀吉や徳川家康にも重要拠点として活用されていたそうです。すごいお城ですね…!
今では城跡しか残っておりませんが、整備され一般公開されています♪

光秀はこの丹波亀山城から、どんな気持ちで軍勢を率いて出立したのでしょう。



日本史上最も有名な事変の舞台
本能寺

〒604-8091 京都府京都市中京区 御池下ル下本能寺前町522

誰もが知る本能寺は京都にあります。
当時の本能寺は光秀が起こした事変の際に焼失したため、現在の本能寺はのちに再建された別の本能寺となります。
かつての本能寺の跡地には石碑が建てられています。
この石碑、実は「能」の字が旧漢字となっているんです!
これには意味が込められていて、本能寺は光秀の事変も含めて多くの火災に見舞われてきたのだとか。その回数なんと7回!
なので、これ以上の火が去るようにと願いをこめて、旧漢字が用いられているそうですよ。


明智光秀と羽柴秀吉決戦の地
山崎合戦古戦場

〒618-0091 京都府乙訓郡大山崎町字円明寺松田

本能寺の変後の光秀が秀吉と戦った山崎の合戦が行われたとされる地には、「山崎合戦古戦場」の石碑が建てられています。
この戦いは天王山が近かったこともあり、「天下分け目の天王山」とも言われているそうです。

ハイキングコースがしっかりと整備されているので、体を動かしに行ってみるのもいいですね♪

山崎合戦の地を歩くコースは、大山崎町観光サイトにも紹介されています。
大山崎町観光サイト



琵琶湖周辺や京都周辺は観光地として栄えている場所も多いので、休日に遊びに行ってみるのも楽しそうです!
御朱印集めにはまっているので、私もお寺めぐりしてみよ~と思います(*´∀`*)レッツゴーレッツゴー